ショスタコーヴィッチの交響曲を聴いて
ショスタコーヴィッチはロシアが旧ソビエト連邦の独裁政治体制下、多くの芸術家が反体制だとして粛清された中を生き残り、15曲の交響曲をはじめ多くの楽曲を残した20世紀を代表する作曲家のひとりです。
芸術と政治とは別モノですが、時の権力者が芸術家を自らの正統性(正当性)や権威を、民衆に知らしめる為利用したことも多々あることは周知の事実です。
先の第二次世界大戦の際も多くの芸術家が時の国家体制の下、自ら生き残る為に所謂プロパガンダに協力した結果、その国家体制が崩壊した国々では旧来の体制への協力者という烙印と追放を受けました。
その後時を経て名誉回復を遂げた芸術家も居ますがそのまま消え去った芸術家も沢山居るに違いありません。
何故こんな記事を書いているかというと、最近ショスタコーヴィッチの交響曲や室内楽曲を頻繁に耳にすることが増えたと感じているからです。
最近でも、ベルリンフィルの定期演奏会で交響曲第4番が演奏されましたし、NHK-FMではクラシック番組でショスタコーヴィッチの交響曲を含む海外オーケストラの演奏会を5回シリーズで放送しています。
それ等の演奏会は全て今年2023年に開催されたものばかりです。
昨年2021年2月のロシアによるウクライナ侵攻以降ロシアの国家権力が批判を浴び、その体制派だと目された芸術家が数多く追放されたのを目の当たりにしました。
人々の見るロシアという国家体制は自由主義国家ではなくまるで旧ソビエト連邦時代に逆戻りしたかのような独裁国家であり、それに迎合する芸術家は追放しなければならない、というのは先の第二次世界大戦当時のことがあるからでしょう。
日本においても多くのロシア芸術家の公演がキャンセルされ、芸術家たちはウクライナ侵攻への体制批判を明らかにしない限り公の芸術表現が出来ない状況下になりました。
昨年春に実際にあったことですが、ショスタコーヴィッチの交響曲第7番レニングラードを演奏するにあたり、演奏会開始前に指揮者が聴衆に対して、昨今の世界情勢からこの曲を何故取り上げて演奏することに批判もあると思うが、数年前から演奏曲目のプログラムを組んで準備してきたオーケストラの定期演奏会シリーズであるから純粋に芸術として受け止めて欲しい、と胸の内を吐露していました。
それから1年が経ち何が変わったのでしょうか?
当時のヒステリックな反応が収まったから体制迎合でも構わない?
いやいや、そんなことはなく相変わらず追放された芸術家はそのまま復帰も叶わないままですよね?
では、何故ショスタコーヴィッチが?
交響曲第7番レニングラードだけは別扱いかも知れませんが、他の楽曲は多くのオーケストラや芸術家達が取り上げ聴衆達もその演奏に賛辞のはくしゆを惜しまない光景が日常になっています。
先の第二次世界大戦当時と違い現代の情報化社会では芸術をプロパガンダに利用する価値が薄れているからなのか?
つまり、「演奏しない」という価値が薄れていて「聴きたい」という価値が重みを増してきた結果なのか?
軽々に結論を導き出すことは出来ませんがこの先は追放された芸術家達がどうなっていくのかをしっかり見ていくことが大切ですね。
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